2016年9月28日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(2-8)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。

(第2回 第8問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D その後松坂屋はどこへ移転したでしょうか?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 松坂屋
B 高島屋東別館
C 日本橋筋沿いの長町
D 松坂屋は昭和41(1966)年に天満橋に移転し、その後は高島屋東別館となる。
 
堺筋にあった4つの百貨店の建物で唯一残ったもので朝ドラ「カーネーション」で効果的にロケされていた。


 松坂屋は、大正12(1923)年に南区日本橋筋3丁目(現・浪速区日本橋3丁目)に「松坂屋いとう呉服店大阪店」を開店しました。昭和13(1938)年に大阪店増改築工事が竣工(現・高島屋東別館)しました。
 1960年代前半、市電の廃止と引き換えに地下鉄整備が進むようになったものの、堺筋の市電路線が廃止されたことに加え近辺に地下鉄駅も開設されないなど大阪店周辺の交通環境の悪化で業績を好転させるのは不可能と判断し、新大阪店の候補地を大阪城の北西部に当たる京阪天満橋駅の地下化および駅ビル建設に伴う鉄道利用客の需要を見込み、移転することとしました。1964年4月、京阪電鉄、松坂屋、竹中工務店の3社の出資による京阪ビル(株)を設立、京阪天満橋駅の上部と隣接地に地下4階、地上8階の京阪ビルディングの建設を発表。
 1966年10月1日、東区京橋2丁目(現・中央区天満橋京町)に移転。「桜の通り抜け」や天神祭でも有名な大川沿いに位置し、ガラス張りの休憩室や飲食店からの展望を売りとし、結婚式場をはじめ海外旅行サロン・文化催事場・スポーツ用品センターなどを導入しながら他店との差別化を図りました。しかし梅田を中心とするキタ、心斎橋・なんばを中心としたミナミの大阪市内二大商業地域に人口が集中していた上、天満橋周辺が商業地域というよりもオフィス街という性格上、周辺に人をよびこむことができませんでした。総面積も市内の主要百貨店と比べ狭く、川沿いの立地が災いし売場の増床も事実上不可能でした。
 1973年、1976年にそれぞれ、ファッション部門を強化。1986年から1988年にかけても全館を改装、食品フロア「グルメ館」として再編。1996年、長堀鶴見緑地線の京橋~心斎橋間の開通により、多くの人が心斎橋に流れました。1997年から1999年にかけ食料品フロアを「食彩館」として展開。全館のうち5フロアを女性ファッションフロアに特化して改装、1998年4月8日に新装開店。若者向けの改装のほか人気テナントの導入や業態転換などの方針がとられたが、失敗に終わったとされます。

 以前より松坂屋より京阪側に撤退を含めて検討したいとの要望が出されていたのをきっかけに、岡田邦彦社長(当時)が「競合店が次々とでき、今後、商圏を大きく奪われる。投資しても回収が見込めない状況だ」と述べ、閉店が正式に決定し、2004年5月5日閉店。移転後ただの一度も黒字化を果たせない店舗となりました。移転後には幾多の改装などを行うなどの努力をしてきたにも関わらず、実を結ぶことはできず、閉店後、この京阪ビルディングのうち松坂屋が所有している土地、建物を京阪側に売却。京阪による大規模な改装工事が行われたのち、2004年11月25日に地下2階の食品売り場である「デリスタ」が先行オープンし、その後2005年5月27日に「京阪シティモール」がオープンしました。(以上ウィキペディアより)
浪華名所獨案内(天保年間)の日本橋
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の日本橋
明治41年、昭和7年、昭和22年の地形図、最近の航空写真の堂島付近(今昔マップ3)
第2回第9問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html
第2回第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html
第1回第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html




0 件のコメント:

コメントを投稿