2016年9月14日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(2-6)

大阪市パノラマ地図検定の解説編です。

(第2回 第6問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 天守閣が再建されたのはいつでしょうか?

 配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 大阪城天守台

B 昭和復興大阪城天守閣
C 江戸期大坂城天守台
D パノラマ地図に描かれている天守台は江戸期の徳川天守のもので、
  この上に豊臣期の天守を模した昭和復興天守閣が昭和6年に再建された。


浪華名所獨案内の大坂城付近(上が東)
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の大坂城付近

 上町台地は大阪のルーツともいえるところで、かつては、上町半島という形でせり出し、西は大阪湾、東は河内湖となっていました。半島の先端部には難波の宮がありました。同じ場所に中世には大坂本願寺(石山御坊)が立地、織田信長に攻められて撤退し、その後、豊臣秀吉が大坂城を築城しました。豊臣大坂城の天守は、地図で貯水池となっている場所にありましたが、夏の陣の後、徳川氏の盛り土によって地中に埋められました。
 徳川氏による大坂城修築工事は3期にわたる工事を経て1629年(寛永6年)に完成しました。その後1665年(寛文5年)には落雷によって天守を焼失し、以後は天守を持たない城でした。
 「大阪市パノラマ地図」には、天守台はありますが、天守閣がありません。この天守台は徳川大坂城の天守台です。現在の天守閣は、豊臣時代の大坂城をモデルにした鉄筋コンクリート造の建物で、徳川大坂城の天守台の上に昭和6(1931)年に再建されたものです。地図の発行の7年後に再建されたことになります。
 大正時代に城周辺の公園整備計画が持ち上がり、1928年(昭和3年)、当時の大阪市長、關一が天守再建を含む大阪城公園整備事業を提案し、昭和天皇の即位記念事業として整備が進められました。集められた市民の募金150万円によって陸軍第4師団司令部庁舎と天守閣の建設がすすめられました。天守閣の基本設計は波江悌夫が行い、大林組の施工で、再建工事は1930年(昭和5年)に始まり、翌年に完成しました。
 当時お城の周辺はほとんど軍の施設で、市民の入れないところでした。天守閣の再建と合わせて、大阪城公園として市民に開放されるようになったとのことです。同時に師団司令部も建て替えられましたが、こちらのほうが天守閣よりもお金がかかったそうです。
 パノラマ地図中の師団司令部となっている木造の建物は、明治18(1885)年に和歌山城から移築された紀州御殿で、司令部庁舎として利用されていました。師団司令部の建て替え後は天臨閣と改称され、戦災には生き残りましたが、昭和22(1947)年、米軍の失火により焼失しました。残っていれば重要文化財級の建築物であったと思われ、残念です。
 現在、初代豊臣期大坂城の石垣を掘り起こして公開する「豊臣石垣公開プロジェクト」が進められています。募金の方もよろしくお願いします。
 昭和6年建設の師団司令部は、戦後、市立博物館として活用されていましたが、大阪歴史博物館の開館に合わせて閉鎖され、現在に至っています。 平成27(2015)年4月1日より大阪城公園は「大阪城パークマネジメント株式会社」が管理することになり、この建物も改修の上でレストラン等の複合施設として使用することとなっています。


明治41年、昭和4年、昭和22年地形図、最近の航空写真の大阪城付近
第2回第7問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/09/blog-post_21.html
第2回第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html
第1回第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html

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