2016年8月10日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(2-1)

大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」から出題した、大阪市パノラマ地図検定の解説編です。

(第2回 第1問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所には当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代天保年間には何があったでしょうか?
D 左側の川の名前は?現在はどうなっていますか?

  配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。

解答と解説
A 大学病院(大阪大学医学部附属病院)
B ほたるまち
C 富山、中津、延岡、久留米、秋田、上田、長岡、名古屋の各藩の蔵屋敷
D 曽根崎川(蜆川ともいう)。明治42(1909)年にキタの大火(天満焼け)が発生した際に、瓦礫の廃棄場所となって緑橋(梅田入堀川)より上流側が埋め立てられ、大正13(1924)には下流側も埋め立てられて消滅した。

 天保年間発行の浪華名所獨案内は当時の観光マップで、堂島は描かれているものの、米市場と大丸呉服店が描かれているだけで、蔵屋敷の藩名は書かれていません。

 天保8(1837)年発行の天保新改攝州大阪全圖には、藩の名前が書かれています。藩名が解答例と一部異なっていますが、解答例は大阪市発行の「新修大阪市史第10巻」付録「図5 天保期の大坂三郷」を参考にしました。

浪華名所獨案内(天保年間)の堂島
天保新改攝州大阪全圖(天保8(1837)年発行)の堂島西部

 こちらは、大阪市パノラマ地図とほぼ同時期の實地踏測大阪市街圖です。大学病院の文字があり、北側には曽根崎川(蜆川)が書かれています。道路拡幅の計画線も入っています。これから大大阪に時代に入っていきます。
實地踏測大阪市街圖(大正14(1925)年発行)の堂島西部

 今昔マップ3を使って、明治42年、昭和7年、昭和30年の各時期の地形図と、最近の航空写真の堂島付近を示しました。明治42年の地形図には「北の大火」の焼失エリアが、昭和30年の地形図には戦災による傷跡が残っています。
 昭和7年と30年の地形図には大学病院の建物も描かれています。右下の航空写真には「ほたるまち」が写っています。
明治42年、昭和7年、昭和30年の地形図、最近の航空写真の堂島付近(今昔マップ3)

第2回第2問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post_17.html
第1回第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html


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