2016年7月27日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(1-9)

大阪市パノラマ地図検定の解説編です。

(第1回 第9問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所は当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の天保年間には何があったでしょうか?
D この地図について、自由にコメントしてください。


※Dの自由なコメントが浮かばない方は、下記のヒントにお答えください。
 高等工業学校は現在どういう学校になっていますか?

 配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 
高等工業学校(大阪工業学校)
B 大阪市立東高等学校およびNTT西日本大阪研修センター等NTT関連施設
C 網島村の近郊農村
D 高等工業学校は昭和4年に大阪工業大学、昭和8年に大阪帝国大学工学部、
  昭和22年に大阪大学工学部、昭和45年に吹田キャンパスに移転。


浪華名所獨案内の桜ノ宮付近(上が北)
天保新改攝州大阪全圖の桜ノ宮付近(上が北)

 大阪大学が地域と深い係わりを持ちながら発展してきたように、工学部もその母体である大阪工業学校以来、大阪の地域社会や地場産業とともに発展・拡充してきました。
 本学部の歴史は、明治29年(1896)大阪市北区玉江町に大阪工業学校が創設されたことに始まります。商業はもちろん、紡績・造船などの工業においても急速な発展を遂げつつあった大阪は、官民あげて工業学校の設立に取り組みました。この時から数えて、平成8年(1996)には創立100周年を迎えました。
 明治34年(1901)大阪高等工業学校と改称、大正11年(1922)大阪市都島区東野田に移転完了。昭和4年(1929)には、大阪工業大学として発足。昭和6年(1931)に大阪帝国大学が発足したのを機に、2年後には大阪工業大学も大阪帝国大学に編入され、大阪帝国大学工学部になりました。当時は6学科でのスタートでしたが、その後も産業界の要求と将来の発展性を見越して、精密、通信、溶接など他の帝国大学にない学科を次々に設置し、現在の工学部の基礎を固めてきました。
 第二次世界大戦で校舎の大部分を焼失したものの、昭和22年(1947)に大阪大学工学部に名称を変更、昭和24年には新制大学のもとに再スタートを切りました。以降、組織や施設の拡充を行い、昭和45年(1970)に、現在の吹田市山田丘の吹田キャンパスに移転を完了しました。吹田キャンパスは、今も国立大学の中でも有数の教育環境だと評価されています。以上、大阪大学工学部のホームページより引用させていただきました。写真3点と地図1点もお借りしました。
 大阪市パノラマ地図には、大正11年に東野田への移転が完了した直後の様子が描かれていることになります。


 大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアに、大阪市パノラマ地図を拡大して床面に展示してい ますので、じっくりとご確認ください。

 大阪市パノラマ地図についてはこちらをどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html

第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html
前問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/07/blog-post_20.html
次問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/08/blog-post.html

0 件のコメント:

コメントを投稿