2016年6月7日火曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(1-2)

大阪市パノラマ地図検定の解説編です。

(第1回 第2問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所は当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の
天保年間には何があったでしょうか?
D この地図について、自由にコメントしてください。

※Dの自由なコメントが浮かばない方は、下記のヒントにお答えください。
 地図の駅舎は何代目でしょうか?

 配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 大阪梅田停車場

B サウスゲートビルディング(四代目大阪駅「アクティ大阪」に増築)
C 曽根崎村の田圃,菜の花畑か低湿地帯、すぐ西は梅田墓
D 地図に描かれている駅舎は二代目駅舎で、
  明治34(1901)年から昭和10(1935)年まで利用された。


浪華名所獨案内の梅田付近(上が北)
天保新改攝州大阪全圖の梅田付近(上が北)
 大阪駅は、1874年(明治7年)に大阪~神戸間の鉄道開業とともに開業しました。当時の駅舎はゴシック風の赤煉瓦造り2階建てで、現在の場所より西の大阪中央郵便局付近に当たる所にあり、周辺は民家がわずかにあるだけで田圃が広がっていました。駅のある場所は1889年(明治22年)の市制施行時における大阪市域にも含まれず、1897年(明治30年)まで西成郡曽根崎村に属していました。

明治18年新版大阪細見全図の梅田ステーシヨン

 当初の計画では市街地に近い堂島付近に頭端(ターミナル)式で建設される予定でしたが曽根崎村の梅田に変更されました。その理由は、将来東へ線路が延伸された際に京都~神戸間の直通運転に都合が良いよう、従前の日本のターミナル駅のような頭端式を採らず、通過式の駅構造にするためだと言われています。
 開業当初、大阪駅は「梅田駅」「梅田ステーション」「梅田すてんしょ」などと呼ばれていましたが、阪神・阪急や貨物駅の梅田駅が開業すると、次第に大阪駅のことを「梅田駅」と呼ぶことはなくなりました。

明治28年大阪市明細図の梅田停車場

 当初は貨物輸送の比重が大きく、水運の便を図るため堂島川から駅の南西まで梅田入堀川(堂島堀割川)が開削されました。しかし、旅客輸送が次第に増大すると入堀のある狭小な駅前では手狭となり、大阪市電の乗り入れ計画に合わせて十分な駅前広場を確保すべく1901(明治34)年7月にゴシック風石造りの二代目駅舎が完成し、最初の駅舎の位置から東の現在地に移転されました。これが、パノラマ地図に描かれている駅舎になります。なお、貨物の取扱いに関しては1928年(昭和3年)12月1日に新設された梅田駅に全面移管され、梅田入堀川も北東へ延伸されました。
明治44年大阪市街全図の大阪駅周辺
最新大大阪市街地図(昭和10年)の大阪駅周辺


 1935年(昭和10年)に二代目駅舎が解体され、仮駅舎が建設されました。1940年(昭和15年)6月に三代目駅舎が2階まで完成し供用が開始されました。当初の予定では5階建てのビルで、中央に5階分の高さの吹き抜けを設け、上層階は1940年東京オリンピックに合わせて鉄道ホテルとして供用される予定でした。1943年(昭和18年)に三代目駅舎(3階建てコンクリート造り)が完成しました。中央の吹き抜け部分を除き、4・5階部分の鉄骨は切断し軍に供出されました。

 その後1983年(昭和58年)4月27日に四代目駅舎となる大阪ターミナルビル「アクティ大阪」が開業しました。さらに、2011年(平成23年)5月4日に五代目駅舎と大阪ステーションシティ(サウスゲートビル、ノースゲートビル)が開業しました。


 大阪市パノラマ地図はちずぶらりさんから、浪華名所獨案内は二つ井戸津の清さんから、その他の地図は国際日本文化研究センターさんからお借りしました。


 大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアに、大阪市パノラマ地図を拡大して床面に展示していますので、じっくりとご確認ください。

 大阪市パノラマ地図についてはこちらをどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html

第1問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_1.html
第3問はこちらからどうぞ。≫ http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_14.html

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