2016年6月1日水曜日

大阪市パノラマ地図検定解説編(1-1)

大阪市パノラマ地図検定の解説編です。

(第1回 第1問)
下の地図は大阪市パノラマ地図のある部分を拡大したものです。
A 地図の中心の赤丸印の場所は当時何があったでしょうか?(建物名、橋名など)
B 現在はどうなっているでしょうか?
C 江戸時代の
天保年間には何があったでしょうか?
D この地図について、自由にコメントしてください。

※Dの自由なコメントが浮かばない方は、下記のヒントにお答えください。
 昭和30年には何があったでしょうか?手前の川は現在どうなっているでしょうか?

 配点は、A、Dは各2点、B、Cは各3点とします。


解答と解説
A 煙草専売局工場 

B なんばパークス
C 難波御蔵(江戸幕府直轄の米蔵)
D 昭和25(1950)年には大阪スタヂアム(大阪球場)が完成し、
  プロ野球の南海ホークスが本拠地としていました。

  手前(西側)の川は難波入堀川(難波新川)で、昭和33(1958)年に埋め立てられました。
  現在は上部を阪神高速道路が高架で走っています。
  東側を走っている鉄道は南海鉄道(現在の南海電気鉄道)です。


浪華名所獨案内の難波付近(上が東)
天保8年発行天保新改攝州大阪全圖の難波付近(上が北) 
上図は天保年間発行の浪華名所獨案内と、天保8年発行の天保新改攝州大阪全圖の難波付近。江戸時代の大坂は江戸と異なり大半が町人地で武家地は少なかった。大坂は幕府の直轄地であり、武家地は奉行所、城代屋敷、蔵、与力・同心の住まいなどに限られていました。
そのうち、難波御蔵は、享保の大飢饉を機に享保17(1732)年に新たに設置され、翌年に道頓堀川と難波御蔵を結ぶ難波入堀川が開削されました。入堀で汚濁が激しく不衛生だったため、明治に入って鼬川(いたちがわ)まで延長開削されましたが、昭和33(1958)年に埋め立てられました。
難波御蔵の跡地は、明治37(1904)年にたばこ製造が専売となり、煙草専売局工場が建設されました。戦災により壊滅した後に1950年からは大阪球場として利用されました。福岡ダイエーホークスとなった1988年以降は住宅展示場などとして利用され、1998年に解体されました。現在は、再開発されてなんばパークスとして利用されています。江戸時代の武家地が、様々に用途転用され利用されてきた典型例と言えます。

なお、第3回大阪検定(2011年度)1級第21問に以下の問題が出題されました。
1950年(昭和25年)、大阪市内で初めての本格的なプロ野球場である大阪球場がミナミに誕生しました。大阪球場が建設された場所は、戦争中、空襲により焼失するまで、何があったでしょう?
 ①軍需工場 ②鉄道工場 ③たばこ工場 ④ビール工場

※正答率は63%でした。


 大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアに、大阪市パノラマ地図を拡大して床面に展示していますので、じっくりとご確認ください。

 大阪市パノラマ地図についてはこちらをどうぞ。
http://sumai-osaka.blogspot.jp/2015/08/blog-post_29.html

第2問はこちらからどうぞ。http://sumai-osaka.blogspot.jp/2016/06/blog-post_7.html


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