2015年8月29日土曜日

大阪市パノラマ地図について

「御堂筋と堺筋」のブログで利用させていただいた「大阪市パノラマ地図」について、興味を持たれた方もおられると思います。今回はこの地図を紹介します。

「大阪市パノラマ地図」は、1923(大正12)年の大阪市街地を描いた鳥瞰図で、1924(大正13)年に発行されました。
大阪市の南西、大阪湾の上空から北東方向を眺めた図柄で、左上に「大阪梅田停車場」が、右上に「大阪城」が、右下に「新世界」「天王寺公園」「四天王寺」が、左下に「築港」「大桟橋」が、それぞれ描かれています。

大阪市パノラマ地図(大正13(1924)年発行)

大阪梅田停車場(現在の「うめきた」は当時は大阪駅構築予定地です。)
大阪城(天守閣はまだありません。昭和6年の再建です。)
新世界・天王寺公園・四天王寺(初代通天閣と木造の五重塔)
築港・大桟橋(欄外には発行者などの文字があります。)
地図の中央には、大阪の船場、島之内、天満など、大坂三郷と呼ばれた江戸時代以来の市街地が描かれ、東西南北に規則正しく区画された町割であったことが分かります。
とくに、図の左半分には大川(淀川)が蛇行して流れ、市街地には東横堀と西横堀、長堀、道頓堀などの堀川が縦横に流れる姿は、「水の都」にふさわしい風景です。地図の中心には、西横堀と長堀が十字にクロスするところに四ツ橋が描かれています。

詳細にみると、公共施設や寺社はもちろんのこと、市電の停留所や学校、郵便局、交番や風呂屋まで書き込まれていて、図の中に入り込んで楽しめるパノラマ地図となっています。

図の作者は美濃部政治郎、発行者は日下伊兵衛(大阪、日下わらじ屋)で、1924年1月に発行されました。

当時の大阪市は東西南北の4区で、ほぼこの地図に描かれている範囲でした。翌年の1925年4月1日、周辺の町を合併(第二次市域拡張)して、面積181平方キロメートル、人口211万人となり、東京市を上回る日本一の大都市となりました。当時は世界でも6番目に人口の多い都市でした。いわゆる「大大阪」の時代です。

大阪は、「天下の台所」と称された江戸時代以来の経済地盤を活かして、商業・紡績・鉄鋼などの産業が栄え、近代建築が建ち並び、華やかで活気にあふれた、近代大阪の黄金時代を迎えました。

「大大阪」の象徴的なできごととしては、大阪城天守閣の再建(1931年)や大阪市営地下鉄1号線(御堂筋線)の建設(1933年に梅田から心斎橋間が開通)、御堂筋の拡幅(1937年)などがありますが、この「大阪市パノラマ地図」が制作された大正時代末にはいずれもなく、地図には表現されていません。大正末からの10年間で大阪は大きく変貌しました。この地図には、いわば大大阪前夜の大阪が描かれているといえます。

この地図は、大阪くらしの今昔館8階の近代のフロアで、じっくりと見ていただくことができます。原本の寸法は、タテ78.5センチ、ヨコ108.6センチとコンパクトなサイズですが、今昔館では、6つの模型の間の床面に光床として約7倍に拡大して展示しています。文字や図がぼやけることなく鮮明に読み取ることができます。90年前の制作としては、相当に精密な出来栄えであったことがわかります。
大阪くらしの今昔館近代のフロア
大阪市パノラマ地図の解説板・QRコード

原本は90年前の発行ということもあり入手はなかなか困難ですが、市立中央図書館、府立中之島図書館などで閲覧することができます。復刻版は大阪くらしの今昔館のミュージアムショップなどで手に入れることができます。
パソコンをご利用の方は、国際日本文化研究センターのHPから閲覧することができます。画像はとても鮮明で拡大も自由にできます。
スマホ(iPhone)をご利用の方は、「こちずぶらり」というアプリを利用すると、GPS機能によって地図上に現在位置を表示させることができます。まち歩きの際などに現地で以前に何があったかを確認することができて便利です。
古地図を見ながらのまち歩き、ブラタモリの気分で楽しんでみませんか。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
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